カイシンノステミ

毎月100冊以上の漫画&小説を読みながら発達障害でわちゃわちゃしています

自分を責める?他人に当たる?発達障害の2つの種類は分かり合えるのか?【ADHDとアスペルガーの人間関係】

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最近になって、自分以外の発達障害の方と接する機会がちょいちょい増え始めました。

 

基本的に内容は悩み相談だったり、発達障害あるあるをお互いに理屈で解明したり、お互いの知らない発達障害関連の事情を共有したりしているのですが

やっぱりお互い人間なもので、すれ違いというのも起きてしまいまして。

「もうあなたとはわかりあえません!」

と言われてサヨナラしてしまった人も、もちろんいらっしゃいます。

 

なんでここまでズレてしまうのか!と思ったのですが

多分コレ「責任」の置き所っぽいぞ。

というところまで考えがまとまったので、今日はそのことを自分の頭の整理がてら書いていきたいと思います。

シンプルに考えれば発達障害の種類は2つ 

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その前に私が考えている発達障害には2タイプの人がいて、本当にシンプルに分けると

  • 「私なんてもうダメだ。あぁ、世界の皆さんごめんなさい」な悲劇のヒロイン
  • 「私がこうなったのは周りのせいだ!ファッキンファッキン!」な駄々っ子

この二つだと思っています。

「いやいや!それ普通の人もそうだし!」って人はちょっと待ってね。

今それ考えると頭こじれるからちょっと待って。

 

ちなみに私は悲劇のヒロインタイプで、当時の自分に言っても100%否定されるでしょうが、周りに「可哀想」なり「心配」なりの感情を与えてカマってもらいたかったんだなぁと思います。

駄々っ子ちゃんタイプの気持ちは自分とは違うタイプなので今まで理解が及ばず、そういうともいるよなぁくらいだったのですが、いざこのタイプの発達障害の人と接すると話が進まない進まない。

 

深く話を聞いたり紙にマインドマップを広げても全然理解できない。

「なんてこった自分の経験値不足がこんなところで露呈するとは!」

とさらにゼロ秒思考を行っても全然進展なし!

 

あーなにこれなにこれ時間かけても全然理解でいないよー!となってたある日。

唐突にサヨナラの日が訪れます。

発達障害の文字だけのコミュケーションの難易度は異常

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サヨナラのきっかけはLINEだったのですが、本当に単純で

Cちゃん「親だって家や自分のこと全然できてないのに私にあーだこーだ言うんです!生まれたくて生まれたわけじゃない!」

ルム「はははwそういう風に考えちゃうときもあるよね!親御さんはやっぱり親だから色々言いたくもなっちゃうし、口うるさくなっちゃうよね。」

 

 

Cちゃん「は?こっち真剣に話してんだけど?なに笑ってんの?もういいわ。あなたとは理解しあえない。サヨナラ。」

 

 

っえ?!

 

 

そこ地雷あったん!?

 

空気が重たくなりすぎないように「w」を使ったのがしくじったかなー。。。とか色々考えたんですけど、

まぁ私アスペですし空気読めなかったのはドンマイ★(テヘ

ということでメッセージについては深く考えずに「ズレていってしまった理由」の方に目を向けて考えることにしました。

 

やっぱり文字だけで空気を察するのは難易度タケェなぁ。

責任の置き所で種類が変わる

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お互いに発達障害を持っているとわかっていても特性は様々で、発達障害同士でもなかなか理解がし合えないくらい違いがあるのですが、前まではこれは性格の違いだと思っていました。

が、これは「責任をどこに置くか」というのと「自己受容できるか」 の二つが関係しているのではないか、と。

まず最初の「責任」ですが、私の仮説だと

  • 「私なんてもうダメだ。あぁ、世界の皆さんごめんなさい」な悲劇のヒロイン
    →責任は「自分」に置いてはいるものの、責任自体をちゃんと見ずにヒロイックな感情でボカして逃げている。
  • 「私がこうなったのは周りのせいだ!ファッキンファッキン!」な駄々っ子
    →責任をボカさずちゃんと見ているものの、置き所を「自分」にはおかず「他者」に置いて自分の責から逃れようとする。

 

この「責任」の置き位置で、同じような悩みをお互いに話しても少しずつズレていってしまうんじゃないかなぁと。

そんでもってコレをどうにかしようとすると、それは真っ先に「自己受容」をしなくてはいけないでしょう。というのが次の仮説でございます。

「自己受容」しないと「自分」も「責任」も人任せ

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よく言われる「自己肯定感を高めましょう!」の自己肯定とちょっと似てる「自己受容」

とにかく単純に言うと「できてない自分もそのまま受け入れよう」ということです。

「いやいや!ダメな自分はダメでしょ!私は変わりたいの!」

って人もよくわかるんだけどね、そうやって自分を自分で否定するのを一旦休憩して「そのダメな自分でも少しでもできていること」を考えてみましょう。

 

そうして自分の「少し」でも出来ているところ、「全然」出来てないところも含めて自分なんですな。ってまず受け入れることが出来ないと、「自分の責任」なんて怖くて直視できないんですよ。

 

だから怖くて責任から逃れるように「悲劇のヒロイン」を気取ってしまったり、周りに押し付けちゃう「駄々っ子」ちゃんになっちゃう。

自分の「責任」「意志」も、今のままの自分自身が受容できなければ自分で抱えることができずに、無意識に他人に委ねたり嫌な現実から目を背けようとしてしまいます。

 

ココの部分をどう解消していくか、相手が今どういう状況なのかを理解できるかがタイプの違う発達障害の人とコミュニケーションする時に大事になってくるな!

というのが私の本日の仮説の全てでございます。

発達障害の2つの種類は分かり合えるのか まとめ

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はい!というわけで私の稚拙な仮説をダラダラと書きましたが、今のところ

結局自分じゃねぇからわっかんねぇな。

な感じで過ごしております。

 

そもそも、どうやって自己受容の方法を伝えたらいいのか。
果たして自己受容の話をしても聞いてくれるのか。
そもそも論でこの考えが間違いorただの押し付けになってないか。

などなどまだまだ頭の中でグルグル渦を巻いているので、この辺ちょっとまとまるまでは深追いせずに気楽に考えていこうと思います。

 

一緒にコミュニケーションとって仲違いしたらしょうがないでしょ。

だって二人とも発達障害だもの。

 

というわけで、今日はここまで!

ながながありがとさんでした。

それでは!また!

ぱお。