カイシンノステミ

毎月100冊以上の漫画&小説を読みながら発達障害でわちゃわちゃしています

賛否両論の「血の轍 第6集」で現れた狂気の愛の行く末はどっちに転ぶ?

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めちゃくちゃ意見割れてますね。

間違いなく名作モードに入っているんですけどね。

今回ご紹介するのは禁忌の狂気な愛を描く問題作。

「血の轍 第6集」でございます。

今回はネタバレを含みますので、未読の方はご注意くださいませ。

「血の轍」第6集あらすじ

Amazon 血の轍(6)

静一がママとの棲み家へ、恐怖の帰宅!?

「女」として自分に迫りくる吹石さんを
すんでのところで拒否した静一。
それは脳裏に数多のママが過ぎったから・・・

「ママを・・・ママを裏切るわけにはいかない!」

しかし帰宅した静一には
ママの凄絶な告白と追及が待ち受けていた!!
引用:Amazon 血の轍 第6集 (ビッグコミックス)

賛否両論の「血の轍 第6集」

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「超やばい!」「残念でした」にネットの評判が酷く割れている「血の轍 第6集」ですが、私は『8月に読んだオススメ新刊漫画ランキングTOP10』で第一位にするくらい「超やばい!」派です。

『残念でした』派のみなさまのご意見はというと、

「血の轍の第6集は、押見修造恒例の『引き伸ばし』がヒドくて『中だるみ』が始まった」

と。

 

うーん、確かに。

第6集の静一と静子の地獄のようなやり取りを「同じような繰り返し」と感じたり

静一くんが吃りながら謝り倒す姿も「またかよー」と思っちゃえばそうかも。

 

ただ、私はハッキリ言って第6集に関して『引き伸ばし』にも『中だるみ』も感じませんでしたけどね!

っていうよりも、むしろ速度上がり過ぎてて追いつかないくらいハイスピードな第6集でした。

 

多分この辺の感じ方って、どれだけこの「血の轍」のヤバさに共感しちゃうかによると思うんだよね。

『人に言えない事』を認めちゃうと「血の轍」は加速する 

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この感想はあくまで男性目線なので、女性の方がどう思うかはわかりませんが

男はほぼ9割がマザコンです。

かくいう私も、思い返して色々考えると「いや、マザコンだわ俺」ってなっちゃいます。

 

どんな子供でもよっぽどの事がなければ、お母さんに大事にされたり守られたり、一緒にお風呂に入ったりして成長していきます。 

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少年期の「母親」ってもう神様に近いのよ。

怒られたらめちゃくちゃ強いしすぐに許して欲しいし、また大事にしてもらいたい。

ここで大抵の男の子はそんな絶対な存在の母親に、友達とか父親が介入してきて徐々に『青年』へと向かっていけるのですが、ここでちょっとコジれちゃったのが「血の轍」。

 

想像して見て下さい。

14歳の時点まで絶対神様の『こんな母親』の世界だけでビニールハウス栽培されちゃった自分を。

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案外、悪くなくない?

 

「えー!キモいよ!」ってなっちゃうのも超わかるんだけど、一回『世間の目』を完全無視して考えてみると「案外、悪くない」。

 

「お母さんとベタベタしてると恥ずかしい!」とかいう感情っていうのは、やっぱり第三者の目線があってのもの。

その第三者の目さえなかったら、こんなお母さんだったら結構みんな静一くんみたいな状態を受け入れちゃうと思うんだよね。

 

こんなに綺麗で自分を完全に庇護下において、優しく「怖いもの」から守ってくれる母親なんて最高だもの。

 

っていう感じのね、『人に見せられない』『人に言えない』事を一回自分で認めて共感し始めると「血の轍 第6集」はものすごい勢いで加速するんですよ。

受身だけでいちゃ「血の轍 第6集」はつまらない【ネタバレ感想】

ここからは第6集のネタバレを含んだ感想になりますので、未読の人は急いで最新刊を読んでください。 

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第5集でついにお母さんに「いらない」と宣言した静一くんでしたが

必死に静ちゃんを探してこんなこと言ってるお母さんを見かけちゃったら、そりゃ魔法はもう解けてしまうわけで

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こんなにもなっちゃいますよ。

 

そんで『お母さんはやっぱりお母さんだ!』になった後の『記憶の改ざん』と『恐怖のお説教』。

 

『記憶の改ざん』に関しては、改ざんしている自覚すらない『空想虚言』かもわからないのでなんとも言えませんが、静一くんへの愛の深さは相当なものだというのが再認識されたシーンでしたな。

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第6集を読んだ人ならわかると思いますが、あの怒った時の表情。

読んでるこっちが思わず手を止めて思考停止してしまいそうなくらいの、あの生々しい怒りの顔。

 

『愛憎』っていう単語の通り、愛が深ければ深いほど憎悪も深くなって

その憎悪が深ければ深いほど、再び愛された時の安堵と幸福感は高まる。

 

もう、必死に吃りながら謝る静一くんはリアル過ぎて見るに耐えない。

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私も昔吃音持ちだったんですけど、押見修造氏も吃音持ちだったので吃音の出ちゃうタイミングとトリガーがエゲつない程リアルで、正直泣きそうになっちゃう。

 

第6集で静一くんが吃りながら謝るシーンを

「またこのパターンで飽きた」っていう感想がチラホラありますが

ちゃんと読みなさい。

 

今回の静一くんの例の吃音のシーンは、今までのどのシーンとも意味の違う「ものすごい重要なもの」になってるっていうのがなんでわからん!

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こんな事を書くとすごい偉そうだけど、押見修造氏の漫画の中でも「血の轍」は特に『受身だけで読んでもつまらない漫画』になっています。

エンタメ漫画みたいに「ほら!今、主人公悲しいね!ほら!泣いてるね!」ってやってくれる漫画じゃないので、 気を抜いてると簡単に置いてかれる。

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何が正解不正解は置いておいて、こっちから何かを感じ取って読んでいかないと全く面白くないし、読んでも無駄になっちゃう。(実際3回くらい読み直しちゃうし)

 

「血の轍 第6集」のラストシーンの『チョウチョ』に一体何を思うか。

 

この漫画を「だれてきた!」とか「意味不明!」とかで読んじゃうと勿体なさすぎるので、出来たらみなさま「受信」だけをせずにこっちから「発見」をしに行ってみてください。

なんか今書いてて思ったけど、こういう風になると「血の轍」はアートのとこまで行っちゃってる感じするね。

賛否両論の「血の轍 第6集」で現れた狂気の愛の行く末はどっちに転ぶのか?まとめ

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というわけで今回は、賛否両論が激しく分かれた「血の轍 第6集」をご紹介させていただきました!

あまりにも個人的に大好きすぎて何言ってるかわからなくなってしまっているかもしれませんが、

とにかくマジで卍で漫画好きは読んで。

本当にこれに尽きます。

まだ未読の人は是非ネカフェでも手にとってみてくださいませ!

それでは!また!