カイシンノステミ

毎月100冊以上の漫画&小説を読みながら発達障害でわちゃわちゃしています

発達障害でブッ壊れた「言葉でしか思い出せない夢」を思い出したいハゲの話

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どうもこんにちわ。ハゲです。

あ、間違えたルムです。

 

今回は年末という雰囲気と寒さからくるセンチメンタルのせいにして、ちょっと「やりたい事」「夢」という事について自分の事をダラダラと書き連ねてみようと思います。

 

何言ってるかわかんない方も年末の空気感のせいという事で、暇つぶし程度に楽しんでいただけたら嬉しくて嬉ションします。

「自分のしたい事が何なのか」って自分の事なのによくわかんなくない?

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最近、「自分のしたい事が何なのか」という事が人と話して話題に上がることが多く、こいつが凄くシンプルな言葉のくせに、考えれば考えるほど多くの事柄に関係してくる厄介者でございまして

 

恋愛でツラい事が度重なって、精神的に参ってる時には

「ツライの?あなたはどうしたいの?」

 

仕事や人間関係が上手く行かなくて頭を抱えてる時にも

「お前は一体何がしたいんだ?!」

 

何となく就職して何となく送る毎日にも

「ここままダラダラ生きるのか?一体ボクは何がしたいんだ」

 

好きで始めた事が仕事になり、少しずつ情熱を欠いて

「本当にしたかった事はなんだったんだっけ?」

 

と、マジでコイツはいつまで付きまとってくるんだっていうくらい事あるごとに「ヘイヘイ!オレオレ!」って登場してきて、その割に2,3日も経てば何も残さないで「またね!ヒャッハー!」って消えて行く。

 

しかもコイツ、そのまま放って置いても案外生きて行けてしまうのだからタチが悪い。それなりに生きて行けてしまうクセに、何か重要な事が起きると重役出勤で頭のど真ん中に鎮座する。

 

顔はずっと隠したまま。

 

コイツは一体どうしたら顔を見せてくれるのか。

「人生の一番大事なことランキング」の第1位

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本当は、昔はかなりの親友レベルで仲良しこよしだったハズのこの「やりたい事」は、おそらくどこかで「夢」とかいうキャッチーな名前が付けられて
小学校の作文や中学校の卒アル、はたまた大人に隠れて酒を飲んだ高校生の夏休みに東映映画のオープニングのごとく登場し、自分の中のヒーローにまでグレードアップする。

 

ところが、その夢にたどり着くまでの道はひどく漠然としていて、20歳を過ぎた頃くらいにその道に目で見えるような標べを置くこと覚え、やがて「目標」という名前に変わり
そして何をどこでどう間違ったのか「標べ」だったはずが、当たるのかよくわからない「的」になって、「目的」とかいうこれまた微妙なそっくりさんが現れる。

 

今度は場所を確かめるようにその的に向かって石を投げまくるが、これがどうにも上手く当たらない。

とにかくブンブン手当たり次第に石を投げまくる。一通り投げ終わって周りを見渡すと、周りの人たちがそれを見ている事にふと気づく。

 

あー!なんて恥ずかしい!石を外しまくってるのがもうバレバレ!

 

と、ここまでくるともう末期。

 

実は大してこっちを見てもいない周りの目を自意識過剰フルパワーで気にし始め、なんのために石を投げていたかすらも焦りでおぼろげになり、ただひたすらに石を投げる。

的から外れるのを人に見られたくないから、とにかく当たるように、ただひたすらに石を投げる。「人生の一番大事なことランキング」の第1位は「石を的に当てる」。

 

「石を的に当てる」ために「石を投げる」

 

手段だったはずのことが「人生の一番大事なことランキング」の第1位を獲得してしまう。

言葉でしか思い出せない「やりたかった事」

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「あー!もうなんのために石投げたのよ!」って気づいたからといって、これまたすぐに進路を軌道修正できないのも非常に厄介。

 

目的と手段が入れ替わってることに気づいても、長い間入れ替わってたもんだから「やりたい事」というやつが一体どういうやつだったか、言葉では人に説明出来ても肝心の「顔」が思い出せないのである。

 

どういう顔で、どういう気持ちでそいつと一緒に過ごしてきたのか、言葉以外はあまりにもおぼろげで、更には想い出補正でインスタにアップする写真みたいに綺麗なフィルターまでかかっているので、自分の記憶がまったくもって信用ならない。

 

本当にコイツは一体どうしたら顔を見せてくれるのか。

 

そこで、私は全てをポイしていろんな事をやめ、新しいことを始めつつ、そいつの顔をゆっくる見ようと今は毎日できるだけ、気軽に真剣に考えるようにしました。

自分のやりたい事なら「なんでもいい」

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よく他人に対して「あいつアレだけが生きがいなんだってw」という言葉をいう人もいますが、私はそれがその人のやりたい事であればなんでもいいと思っています。

 

自転車をいじるのが大好き

アニメを見るのが大好き

畑で野菜を育てるのが大好き

家族と一緒にいるのが大好き

仲間と馬鹿騒ぎするのが大好き

 

そのどれでも胸を張って「やりたい事だ!」とか「これが生きがいだ!」と心から言えれば、それほど素晴らしい事はないと思います。どんな事でも他人からとやかく言われる筋合いもありません。

なんせそれさえあれば、それを実現するためならきっとその人はどんな事でもできるんですから。

 

自分の「やりたい事」に他人の目は関係なくて、どれだけ自分に寄り添って「本当の自分のやりたい事」を見つめていけるか。そこが大事だと思っています。

発達障害でブッ壊れた「言葉でしか思い出せない夢」を思い出したいハゲの話 まとめ

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そんな私ですが、最近では人と話して「周りを気にせず自分のためにやっていた事」が「周りが自分に求める事」になっていた事などを聞いたりしつつ、どういう気持ちで「やりたい事」と一緒にいたかがうっすらですが思い出せるような感覚がしてきています。

 

全然理論的でも具体的でもない感覚。

 

いつになったら顔を見せてくれるのか、はたまた行動を起こした後にひょっこり「こんちゃ!」と顔を表してくれるのかもわかりませんが、今は自分の中の「これやりたいことじゃね?」ゲージが80%くらいまで溜まったら、とにかく行動に起こしてみようと思います。

 

結局「くちだけじゃーん!まだなんもやってないじゃーん!」なんですが、最近自分の周りの話題が「自分のやりたい事って何?」モードが多かったので、年末のセンチメンタルにかこつけてダラダラ書いてみました。

 

以前、私の好きなマンガ編集者の人が、「表現とは、野良犬が自分の居場所を守るために必死に噛み付く行為だ」というのを聞いてひどく感銘を受け、「かっこいー!私も野良犬!きゃー!!」と憧れていました。

 

が、どうやら私は野良犬ではなく「カゴから外の世界に憧れて脱走したハムスター」だと判明し、「ま、まぁネズミでも『窮鼠猫を噛む 』といいますし・・」と思ったら

実は窮鼠は怯えるだけで噛みもしないという事実を知り愕然としておりますが、ハムスターなりにチュウチュウやってみようと思います。

 

とりあえずは、ヒマワリの種でも探してみようと思います。
いつかサンフラワーでも咲いたらいいですな。

 

よくわからん記事なりましたが、そんな感じで2018年は終わり。

 

ではまた。